パレスチナはどこへ向かうのか

2006/01/06


イスラエルのシャロン首相が脳内出血で重体との情報が耳に入りました。
かなり重度のようで、政界復帰は難しいとのこと。
ということは、新たな首相が出てくる。新首相に誰がなるかということが、パレスチナの和平問題を大きく左右させそうです。 強硬派の首相が来るか、和平派の首相が来るのか?


パレスチナ問題がどのように発生したかを知らない方に簡単に説明いたしましょう。
時は第1次世界大戦。同盟国側のオスマントルコ帝国を内部から攻撃するために、イギリスが、次のような外交政策を行いました。

フサイン=マクマフォン協定(対アラブ民族)・・・パレスチナを含むアラブ民族の独立を約束
バルフォア宣言(対ユダヤ民族)・・・パレスチナにユダヤ民族国家の樹立を約束
サイクス=ピコ協定(対列強)・・・パレスチナを含む旧オスマントルコ帝国領を分割を取り決めた秘密協定

これを見てもわかるとおり、これらすべてが相互に矛盾しています。
(この後、この2枚舌を上回る3枚舌の外交政策はロシア革命政権に暴露されてしまいます。)
パレスチナはイギリスの委任統治領となり、ユダヤ人が移住をはじめる。
そこで、移住ユダヤ人が増えて反発したのはアラブ人。
そこで、またもやイギリスが、パレスチナにアラブ人国家建設を約束してしまいます。
今度は、ユダヤ人が起こる番。
そして、イスラエルが独立を宣言。
独立を宣言したその日に周辺アラブ諸国がイスラエルに宣戦布告。(第1次中東戦争)
その後、第4ラウンドまで中東戦争は続き、今日に至る、とそんなわけですわ。

イスラエルの建国のときに多数のアラブ人の土地が奪われました。
このこともパレスチナ問題を複雑にしている理由でもあります。
一体、ここの土地は誰のものなのか?ユダヤ人のもの?アラブ人のもの?となるわけです。



そして、ユダヤ、アラブ両者の間で・・・

血で血を洗うテロとその報復攻撃も続いています

同じ啓典の民であるにもかかわらず。

早期の解決が望まれるところです。

もっと図説的説明が必要な方は、お勧めFlashへのアドレスを書いておきます。
世界史@初心の世界史フラッシュのサイト様内の第1次中東戦争
http://www.geocities.jp/whis_shosin/aiw1.html


 

編集注:

2006年5月15日

シャロン首相はいまだ重体です。

その後行われた総選挙では、シャロン首相のカディマ党が第1党となりました。他党との連立の準備も整い、大統領のほうからも組閣要請が出されたようです。総選挙までの間にオルメルト首相代行によりイスラエルは、ガザに続き、ヨルダン川西岸からも大規模入植地とエルサレムを維持したまま撤退し、2010年までに「国境線」を画定する方針を決定しました。

どうやらオルメルトさんは、シャロン首相の分離政策は推し進めつつも、シャロン首相よりは強硬ではない方のようです。

しかしながら、有権者の間では対話による和平への期待感が薄まったため、パレスチナの分離を訴えるカディマ党が支持を集め、第1党となったため、まだまだ、目が離せません。

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