さて、前回に続いて兵站の話です。
アレクサンドロス大王は、なぜあの短期間で、世界を制覇できたのか。
ナポレオンは、ロシア遠征でなぜ失敗したのか。
ローマ帝国は、なぜ200年近くにわたる平和を享受できたのか。
日本軍は、なぜインパール作戦で失敗したのか。
普仏戦争で、なぜプロイセンは、短期間で勝利できたのか。
その答えが、兵站にある、と前回お話しました。
まずは、簡単なナポレオンのロシア遠征から。
ナポレオンは、当時、フランスにとって最大の敵国イギリスの経済に打撃を与えるために、大陸封鎖令を発布しました。
しかし、イギリス経済に打撃を与えるという目標は達成されず、逆に、大陸諸国の経済が悪化しました。
経済の悪化が深刻であったロシアは、ついに、この封鎖令を破って、イギリスとの通商を再開しました。
これは、打倒イギリスを目指す、ナポレオンの逆鱗に触れるものでした。
そこで、ナポレオンはロシア遠征を行うことにしたのです。
有名なとおり、ロシア軍司令官クトゥーゾフは焦土作戦を展開。
さらに、フランス軍は冬将軍に襲われ、ついには敗退することになるのです。
なぜ、ナポレオンはロシア遠征に失敗したか。
ナポレオンのこれまでの兵站の理論は、「集められるものは現地で集める。それでも足りないものは補充する」が基本であったことに問題があったように思います。
今回のような焦土作戦が展開されると、ナポレオンは100%自前で、物資を用意しなければならなくなります。
しかし、ナポレオンがヨーロッパ全土を蹂躙することができた理由のひとつに、彼が、兵站の重要性をきっちりと認識していたことにあります。
でも、今回は事情が違いました。
今まで、戦ってきた国々は、先進国の国、今回戦う相手は、ヨーロッパでも後進国であるロシアです。
また、今まで、戦ってきた国の中で一番広い国。
さらには、とっても寒い国。
これだけで、ナポレオンの失敗の理由がわかれば、あなたも、兵站の一流になれるかも知れません。
つまり、ロシアは、後進国であったがゆえ、交通路が整備されていなかったため、補給の四輪馬車が、通ることができなかった。
侵入すると国境付近に補給基地を設置していたとしても、攻め入れば攻め入るほど、補給関連施設は、ロシア軍に破壊されているため、補給路が長くなっていき、補給路の安全も脅かされる。
さらには、寒さのため、補給は困難をきたすことになったのです。
簡単に言うと、ナポレオンは、今までとは違い、細長い補給路しか使うことができなかったのです。
冬将軍にナポレオンがやられた、というお話は先ほどしました。
どっかの火山の噴火によって、冬将軍の到来が早まって、冬装備の準備がそれに間に合わなかったといわれていますが、私には、そもそも冬装備を前線に送る補給路が脆弱すぎたように思います。
次回も続きます。